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2019年“外教社杯”高校翻译大赛日译汉初赛原文

[发表时间]:2019-07-12 [浏览次数]:

2019年“外教社杯”高校翻译大赛日译汉初赛原文

时间:2019-07-12|点击数:

请将下列文字译为汉语:

桃子さんはため息を吐きつつも前を見た。そのまま、冷蔵庫に直行して、ドアを開け、缶ビールを取り出すと立ったまま飲み始めた。ひとしきり飲んであたりを見回すと、もうずいぶん暗くなっている。缶を手に持ったままよたよたと部屋の隅によって蛍光灯を点け、振り返ると出窓のところに女が一人立っていた。白髪交じりの蓬髪の女、すぐに山姥だと思った。どうしてうちにいるのだろうと訝しく、しばらくして桃子さんは、あはあはと笑ってどたんと椅子に座った。

降り続く雨をいいことに、ろくに髪もとかさず、身なり構わず、ザンバラの白髪まじりの女は出窓に映った自分の姿だと気が付いた。静かな部屋に桃子さんの笑い声が響いて、それから歌うように笑うように陽気に独りごつ。

山姥がいるじょ。ここにいる。現代の山姥は人里離れた山奥なんかにいない。こうしてかつての新興住宅地にひっそりと住んでいる。山姥は太母ののちの姿である。太母とは何か。子供を大事に大事に育てた母親のことである。大事に育てたのに、子供の命を呑み込んでしまったのではと恐れる母親のことである。飲んだビールのせいなのか、なぜだか桃子さんは演説口調である。

またぐいと飲んだ。

直美、聞いでいるが。

直美は母さんが見も知らない男に金を渡してしまったのは、正司への偏頗な愛情のせいだと思っている。だども、それは違う。違うのだ、直美。

それが贖罪だと言ったら、おめはんは驚くだろうか。

直美、母さんは正司の生ぎる喜びを横合いから手を伸ばして奪ったような気がして仕方がない。母さんだけでない。大勢の母親がむざむざと金を差し出すのは、息子の生に密着したあまり、息子の生の空虚を自分の責任と嘆くからだ。それほど、母親として生きた。

母親としてしか生きられなかった。

直美、母親は何度も何度も自分に言い聞かせるべきなんだと思う。

自分より大事な子供などいない。自分より大事な子供などいない。

自分がやりたいことは自分がやる。簡単な理屈だ。子供に仮託してはいけない。仮託して、期待という名で縛ってはいけない。

二缶め、また飲んだ。飲むたびになぜだか愉快な気分になっている。

山姥か。山姥だ。

もう誰からも奪うことがない、奪われることもない。風に吹かれて、行きたいところに行く。休みたいところに休む。もう自由だ、自由なんだ。

だいたい、いつからいつまで親なんだか、子なんだか。親子といえば手を繋ぐ親子を想像するけれど、ほんとは子が成人してからのほうがずっと長い。かつての親は末っ子が成人するころには亡くなってしまったそうだけど、今の親は自分の老いどころか子の老いまで見届ける。そんなに長いんだったら、いつまでも親だの子だのにこだわらない。ある一時期を共に過ごして、やがて右と左に分かれていく。それでいいんだと思う。

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